
新実在論の骨子は
1 全てのものは存在する。
2 存在するとは、意味の場に現れることである。
3 ただし世界は存在しない。
4 倫理も実在する
4は、1と2から導出されるが、特別重要な意味があるので、ここに併記した方が、
新実在論の全体像を理解しやすくなる。と思う。
1と3の意味はわかる。2がわからない。「意味の場」とはなに?
「意味の場」の「意味」は、人が「意味を理解する」というときの「意味」とは意味が
似ているようで同じではない。
新実在論の「意味の場」は言語学で使われるときの「意味の場」と少し異なる。
あるときは意味、あるときは文脈、あるときは視点、あるときは場所…
なにかそのようなものが混ぜ合わさったものである。
とにかく、過去に同じ意味で使われたことがない言葉なので、
その意味を理解しようとすると迷子になる。
イメージで捉えようとするのも注意がいる。
存在を包む容器のようなものでそうではない。
雪だるまを乗せた台車とか、Pタグを包むDIVタグとか、
映像を映すスクリーンなどをイメージすると違うときがある。
体感として理解する方が早いかもしれない。
乗れるようになる前はまったく意味がわからない自転車も、
乗れるようになると、なにがわからなかったのかわかららなくなる。
「意味の場」もそのようにわかるようになる気がする。
練習すればいいかもしれない。
全てのものが存在するので、〇〇〇はある。
どこに? △△△の「意味の場」に。
書き出してみよう。
風呂桶
風呂桶はある。どこに? お風呂場に ブブー!
風呂桶はある。どこに? 「物理的存在」という意味の場にある。
風呂桶はある。どこに? 「ケロリンの広告」という意味の場にある。
風呂桶はある。どこに? 「石鹸を洗い流す水を溜める」という意味の場にある。
この例の「意味の場」は「視点」に近い。
ここで大事なことは、意味の場を明らかにすることではない。
意味の場と存在の関係がわかればそれで良い。
同じ対象が同時に複数の意味の場に現れる。
同時に無数に存在する。
これがひとつめの肝である。
アンドロメダ星雲の地球型惑星X
「私の好奇心の中の仮説」という意味の場には存在する。
では、惑星Xが「物理的に」あるのかないのか?それが問題。
結論:物理的な存在としてある。
人が観測できるできないにかかわらず存在する。
人間の都合の外側に存在している。
証明できないだろう!って?そのとおり。
証明できないものも実存する!
証明できるものだけが事実じゃない。
これがふたつめの肝である。
神
「信仰する人の精神のよりどころ」という意味の場に実在する。
神は生き返ったのだ。いや、死んでいなかった。
ただし唯一絶対という意味の神はいない。いや少し違うな。
唯一絶対の神がいると信じる宗教の神はいる。
同時に八百万の神もいる。どちらの神も実在する。
なので神はいる。たくさんいる。
「宇宙を設計した数学的知性」という神もいる。
その知性はまだ発見されていないだけで実在する。
私たちが知っているかどうかは実在するかどうかに関係ない。
ほんの200年前、素粒子がそうだったように、
まだ発見されてないものも全て実在する。
いつか発見されるかどうかも関係なく実在しているものは実在している。
なんなら死後の世界も実在する。
世界は存在しない
全てのもの、こと、概念が実在する。
これまで(の習慣で)存在すると思っていたものより遥かにたくさんのもの/ことが実在する。
何かが存在するにはその存在の「意味の場」がある。
意味の場にはそれを認識する視点がある。
人間である必要はないが、とりあえず人間の視点でよい。
全てのもの、こと、概念を内在し、全ての意味の場を包括するものを「世界」とする。
その世界の視点が世界に含まれない→世界の意味の場がない→世界がない。
世界は存在しえない。これがみっつめの一番大きな肝になる。
意味の場がわかると、世界が存在しないことがわかる。
これが意味の場の意味である。
世界は存在しない2
世界が存在しないとどうなるか?
ただひとつの大きな物語は存在しない。
中心はない。地球は宇宙の中心でない。私は世界の中心でない。
私の人生が誰か何かに規定されることがない。自由になる。
自由の不自由から解放される可能性が見えてきた。
これが新実在論の結論である。気がする。
存在とは?存在するのか/しないのか?
人類はそれを、あーだこーだ、ず~っと考えてきた。
その長い歴史が、
「意味の場」
で終わってしまった。
意味の場の意味は左程強力なはず。
にもかかわらず、いまはまだそれが十分に知られていない。
社会はいずれ大きく静かに変わっていく気がする。
気付いたときにはすっかり変わってしまった景色に驚くようになる気がする。