
たぶん「概念」じゃない
その日、佐藤が最初に出会った「神様」は、駅前の自動販売機の横に置かれた、ひどく汚れた空き缶入れだった。
佐藤にはそれが神様だなんて思えなかった。ただの、穴が二つ開いた無機質なプラスチック。だが、夕暮れの斜光が特定の角度で差し込んだ瞬間、そのゴミ箱の「影」が、まるで心臓のようにドクドクと脈打っているように見えた。
「……見すぎですよ、佐藤さん。あんなの、ただのゴミ箱じゃないですか」
同僚の鈴木の声で、佐藤は我に返った。鈴木の胸元には、最近流行している『クォンタム・ピース(QP)』の虹色の歯車バッジが、ヌラヌラと虹色に光っている。
「いや、ゴミ箱なのは分かってる。ただ……あの場所に置いてあるのが、どうも『間違っている』気がしてな」
「間違ってる? 何がです。それより佐藤さん、昨日の夜、ちゃんと『QPアプリ』で徳(マン)を送信しました? 僕、昨日は一晩中祈ったおかげで、今朝は頭がスッキリして、自分が透明なクリスタルになったような気分ですよ」
鈴木の笑顔は、まるでCGのように左右対称で、どこか不自然だった。
最近、街にはこういう「空っぽな多幸感」に溢れた連中が増えている。「マンエネルギー」をアプリ経由でお布施する。それだけで人生が調和するという。
佐藤はスマートフォンを取り出した。画面には「マン・チャージ完了:0.02%」という数字。このエネルギーがどこへ行くのか、誰も知らない。
「……行くよ。その同期会とやら」
佐藤は、自販機の横のゴミ箱が、一瞬だけ 「こちらを値踏みするように身震いした」 気がして、思わずそう答えていた。
連れて行かれた先は、郊外のボウリング場を改装したQPの集会所だった。
数百人の信者が静まり返り、正面の巨大なモニターに映る「虹色の歯車」を見つめている。
「さあ、佐藤さんも。もうすぐ『同期(シンクロ)』が始まります」
鈴木が恍惚とした表情で促す。
やがて、会場の照明が落ちた。
ステージに現れたのは、巨大なゴミの山……にしか見えない、奇妙なオブジェだった。真鍮のパイプや割れた鏡がデタラメに組まれている。
だが、佐藤の視界が、ぐにゃりと歪んだ。
脳を直接、冷たい氷のヘラで撫でられたような感覚。「見ているもの」の正体が、剥がれ落ちていく。
見えた。
それはゴミの山ではなかった。多次元的に折り畳まれた、巨大な 「吸い取り紙」 のような生物だった。
信者たちの鼻の穴から、うっすらと青白い光の糸が伸び、ステージ上の「ソレ」に吸い込まれていく。
エネルギーを吸い取られるたび、信者たちの目は生気を失い、代わりに「幸せそうな無表情」が顔に張り付いていく。
「……っ、やめろ!」
佐藤は叫び、会場を飛び出した。
夜の裏路地で吐き気に耐えていると、暗がりから鋭い声が響いた。
「おい、あんた。まだ脳を半分焼かれただけみたいだな」
そこにいたのは、野球帽の内側にアルミホイルを厚く貼り付けた奇妙な女、リサだった。
「……アルミホイル? 陰謀論者かよ」
「失礼ね。これは『ノイズ・キャンセラー』よ」
リサは懐から、古い使い捨てカメラを取り出した。
「あいつらは『意味』を書き換える。デジカメじゃダメ、あいつらが望む像にデータを改ざんされるから。でも、古いフィルムは嘘をつけない。……これを見なさい」
リサが差し出した写真を見て、佐藤は絶句した。
駅前の自販機の横にいたのはゴミ箱ではない。
それは、巨大な注射器を抱えた、半透明の多脚生物だった。自販機から電気を盗みながら、通りかかる人間に見えない針を突き刺している姿。
「あいつらにとって、この街は『ガソリンスタンド』。私たちはただの『燃料』なのよ。あいつらは自分の姿を『風景』に擬態させて、私たちの精神を収穫してる。……気づいた奴は、私たちだけ」
リサは不敵に笑い、アルミホイルを佐藤に差し出した。
「ようこそ、レジスタンスへ。まずはあの駅前の『ゴミ箱』――あいつらの燃料ポンプを、物理的に叩き壊しに行くわよ」
佐藤は、アルミホイルの鈍い輝きを見つめた。
狂っているのは自分か、世界か。
だが、あのアナログ写真に写った「化け物」の姿だけは、どんな理屈よりもリアルに、佐藤の脳に突き刺さっていた。
(第1話・完)