
生きてるうちに仏になれるか?
についてずっと感じていることがある。
仏教で目指すのは無我で、つまり自我を消し去ること。
だがどうやって?が難しい。
自我を消してそのとき生きていると言えるのか?も想像しにくい。
仮に消すことができたとして消したつもり。ということもある気がする。
なんとなく話半分でしか受け取れない。
一方、ユングがいう固体化、自己の統合。
は、比べてわかりやすい。気がする。
それは目指す姿勢で完成はない。
目的地はなくて過程のみ。
途方に暮れる必要はなくて、
今現在目の前の問題に集中しやすい。
これでいいんじゃなかろうか。
釈迦からユングまで2000年で進化したと考えれば良い。
というか、2000年も前にそれを考えていた釈迦がすごすぎる。
ガブリエルの思想もまた仏教に近い。
仏教徒であれば「世界は存在しない」は受け入れやすい。
「意味の場」の重なりも「縁起」そのものと受け取れる。
違いは、「客観的」に世界が存在しないことだけだ。
これもまた2000年の成果と考えればよい。
仏教的には、ユングにもガブリエルにもこだわることはない。
歴史も違えば人々の受入方も違う。
オラオラ的には、仏教にこだわる必要もなくて、
代わりに、ユングとガブリエルでも十分だ。
ある意味、解脱だ。仏教的にはなんの問題もない。