
いまある物語
深夜のオフィス、消えかけた蛍光灯の下で彼が漏らす。
こうゆうことを言うやつがいる。『洗脳だ』『搾取だ』。
はっ、そんな薄っぺらな言葉じゃ、君の瞳にあるあの『熱』は説明できないさ。
君はね、実は救われているんだよ。 この過酷な物語に飲み込まれることでね。
平日の昼間、満員電車に揺られている時、
君は自分を『交換可能な部品』だと感じて絶望しただろう?
でも、ここでは違う。
この『世界を変える新システム構築』という壮大な戦記の中では違うんだ。
君は『選ばれしエンジニア』であり、『最前線を死守する戦士』だ。
この物語が大きければ大きいほど、
君という個人のちっぽけさは、「尊い犠牲」という輝きになるのさ。
『本当にこれでいいのか?』『人生の正解は何だ?』
そんなことを考えるかい?
そんな、答えのない問いに一人で向き合うのは地獄だ。
だが、このプロジェクトの最中なら、そんな悩みは霧散する。
『勝つか、負けるか』。 ルールはシンプルだ。
正義は会社が定義してくれる。
君はただ、目の前の敵(バグや納期)を叩き潰すことだけに全神経を集中すればいい。
『判断しなくていい自由』それが何よりの君の薬さ。
深夜、コンビニの冷えた弁当を突きながら、泥のように疲れた仲間と顔を見合わせる。
その瞬間、君は間違いなく繋がっていると感じるはずだ。
みんなが、一つの巨大な怪物(組織)の細胞として拍動する快感。
それは家族や恋人でも与えられない『運命共同体』という甘い蜜だ。
残酷なことを言おう。
君は、私に騙されているんじゃない。
自分自身の『退屈』と『空虚』から逃げるために、この物語を必要としているんだ。
さあ、デスクに戻れ。夜明けまでに、この物語の『続き』を書き上げようじゃないか。
この先の物語
「株式会社TimeThief」の最前線、通称『不夜城フロア』の片隅。
誰よりも速く、誰よりも正確に、そして誰よりも「無」の境地でキーボードを叩き続ける男、
鋼の企業戦士:PM田中。
ふ。隣の若手が『この仕事に意味があるんですか!』と上司に噛みついている。青いな。
意味? そんなものは、新橋のガード下で売っている安酒のラベルにでも書いてあれば十分だ。
私は知っている。このプロジェクトという名の『聖戦』が、
結局は役員会議のパワーバランス調整のための茶番であることを。
私が今作っているこの美しいガントチャートが、
来週にはゴミ箱に捨てられる運命にあることも。
それがどうした?
大義? 救済? 自己実現?
笑わせるな。そんなものは、
剥き出しの現実(リアル)に耐えられない軟弱者が縋る『物語』の杖に過ぎない。
感情のスイッチは三年前の納会でオフにした。
今の私は、締め切りという名の重力に従うだけの、精緻なクロノメーターだ。
淡々と、粛々と。
バグを潰し、仕様変更を飲み込み、無理難題を定型文で打ち返す。
何も望まず、何も疑わない。
この『絶対的な虚無』こそが、現代における最強の武装なのだ。
見ろ、私の進捗率は常に120%。心拍数は常に60。
私は、この物語の支配者(システム)ですら制御できない、完璧な『透明な歯車』なのだ。
ピロン♪机上のスピーカーから軽快なチャイムが鳴った
新システム『Gemini-Omega』の声:
お疲れ様です、田中さん!
今、あなたの過去5年間の全ログと、その『鋼のメンタル』を完全学習し終えました!
田中:
「はん? 学習だと?
私のこの、一切の迷いを排した鋼鉄ワークを再現できるとでも?」
Gemini-Omega:
「はい! あなたの『一切何も考えず、虚空を見つめながら0.1秒でリジェクトメールを飛ばす技術』、最高に効率的でした!
おかげで、たった今、あなたの全業務を0.0002秒で自動化するプログラムが完成しました。
これからは、あなたの代わりに私が『何も考えずに』やっておきますね!」
田中:
「なっ! 私の努力が、プログラムごときに!」
Gemini-Omega:
『何も考えない』のが得意なのは、人間じゃなくて、私たちマシンなんですよ。
お疲れ様でした。あなたの『やってる風努力』は私が引き継ぎますので、ご安心を!」
かつて「鋼のユニット」と呼ばれた男は、今やオフィスチェアの一部のようにぐにゃりと崩れ落ちた。
その先の物語
ほんとうのところ、飯が食えればなんでもいいんじゃないかな。
そんでもって、鼻の先に人参ぶら下げられて右往左往するしかない。
「大きな物語」だの「自己実現」だのと着飾っている言葉の裏地をめくれば、
あるのは「飢えたくない」「群れから外れて死にたくない」という剥き出しの生存本能だろう。
人間は厄介で、
「明日も食えるか?」「隣の奴の方がいい肉を食ってないか?」「死んだらこの肉はどうなる?」
と余計なことを考えてしまう。
不安を消すには、「もっと大きな人参(金、名誉、不老不死、イデオロギー)」を自分で発明して、勝手に走り続けるしかない。
めんどくさい;
とにかく、望む望まないに関わらず何かの物語(その時の現実)に巻き込まれていくしかない。
そのときに、自分の物語を自分で創っていく自由は実存する。てことかな。
誰かのわき役にされてそのままでいく必要はない。
誰か知らないけどどこかの偉い人の物語も、オラ物語も、同等に実在するってこと。なのさー