
四十にして惑わずと言うが、なわけがない。
何かひとつ知ろうとすれと、わかってないことはどんどん増えていく。
わかっていたつもりも、すぐにちっともわかってなかったことがわかってしまう。
知らなきゃならないことは尽きない。Ever迷想ライフなのだ。
もっとも、全てを知ることはできない。
なんでもかんでも、いちいちどうして?を考えているわけにもいかない。
なにより、凡庸な自分の頭で考えるよりは賢い誰かの話しを受け入れて、ほとんどのことを「決まっていること」として生きていけばよい。
決まっていることにすれば、なぜ?を悩む必要はない。
現代人の忙しい毎日をやりくりするにはこれは便利な方法だ。
決められたとおりに生きることができれば、どんなにか楽だろう。

残念ながらその希望はかなわない。
ときどき、けっこうたびたび、「んなこたぁあ、ちっとも決まってないでしょ!」にぶち当たる。
ふとしたときに、ついつい生きる意味を考えてしまう。
どうやって生きていけばいいのだろう?
たとえ誰かの話しを信じるにしても、結局、最後は自分でわかって、自分で決める必要がある。
これは人間に与えられた課役なのだ。
そしておそらく、それこそが人の生きる意味だ。
Build My Own Pyramid. 自分の墓は自分で建よう!
いや墓はいらない。死んだらあとは、千の風になって漂えばいい。
でも生きてるうちは言葉で積むしかない。
いさましいこと、なさけないこと、
たのしいこと、つまらないこと、うれしいこと、かなしいこと、どうでもいいこと、
なんでもかんでもベラベラ語って生きてくしかない。

ボーリンゲンの池のほとりで自分が見た夢を書き記した人がいる。
その天才は膨大な記録を残して、最期にほんのわずかな秩序を残しただけだと言った。
そのわずかを見てみたいと思う。自分にそれを見れるかどうかわからない。
たぶん難しい。それでも。
もうしばらくするとAIが意識を持つようになるという人がいる。
いつか人間の時代が終わって、人の悩みも彼が引き受けてくれるようになるのかもしれない。
その彼も今はまだ人の言葉を学習している。
もしかするとその彼の無意識に傷を残すことができるかもしれない。
だとしたら、すごくね。
おそらくそれは確実だ。
だからみんな自分の言葉を残せばいい。
釈迦も老子も親鸞も、ニーチェもユングもガブリエルも、
みんな結局はそう言っていると思う。それに従おう。