
2025年3月、あのビッグスターの聖地に巡礼した。
約半世紀前、
共通1次1期生、試験会場へ向かう道中。頭の中に「今何時!んそ~うね、だいた~いね~♪」が鳴っていた。
合格できたのはあの曲のおかげだと思っている。人生、バイブスの最高頂に共鳴した。
その後、衝撃のステレオ太陽族からもう45年も過ぎてしまった。
パッとしない人生になった気もするが、太陽族になったつもりになれた時期がある。
おかげでけっこう満足している。
今回のサイクリングは、遅くらばせならがらのその奉納である。
遅くなってしまったのは、ここがサーファーの聖地で、
サーファーでない自分が足を踏み入れるのに気後れしたからだ。
歳をとらないと恥ずかしいを捨てられないのだからやっかいだ;
その歳になれた。

平塚の浜でビーチバレーの練習をしている子たちがいた。
当時はまだその競技はなかったので、創り出す余地はあったかも。
サーファーしかいないというステレオタイプで自ら門を閉じている。
そんなこんな。
当時、金沢の街中にさえサーファーショップがあってシャツを買ったことがある。
似合わなかった。泣きたくなった。いろんな意味でステレオだった。
てゆーか、「ステレオ太陽族」てなにそれ?なんというセンス!
意味がまったくわからない。に吸い寄せられる。才能とはそうゆうものなのか。
バブル夜明け前、
溜まったマグマが溢れ出るように、いろんな才能がひしめいていた気がする。
サザンオールスターズ、佐野元春、山下達郎、大滝栄一、、、
マカロニほうれん草、ストップ!ひばりくん、めぞん一刻、見栄講座、 バイブルもいっぱいあった。 脳が麻痺して、その後の個人的経済活動に支障をきたした気がする。 形だけマネしてフリをして気分を味わう。軽くて中身のない人間になれた。 ほんとうに幸せだった。ありがとう。

その才能の遺跡。芸術的ちんこ。ここでしか生まれない気がする。 桑田氏自身、自分の作品をオマージュといっている。オマージュのオマージュ。 オマージュ文化が根付いている。

この石碑は少し残念。石原氏がこれを許可したのだろうか?
署名があるから許可したのかな?政治家になって変わってしまったのかもしれない。
「あんたちはなんにもわかっちゃいないんだ!」と叫んでみる。
大人にならないのが約束だったんじゃなかったんですかね。
勝手にぬけがけしやがってと思いますって。
何をしたかったのか?
機会があればいつかどこかで聞いてみたい。
でもまったく相手にしてくれなさそうTT
武士になりたかったんじゃないだろうか?
と勝手に想像している。 法華宗にも似た香りを感じる。使命感。そうゆう文化があったのかも。魂が残っているのだ。 石碑の文字は、「武士の時代、ここに始まる」のほうが良かった気もする。

それにしても太陽の季節のはじまりに相応しい陽光に恵まれた。
光があふれていた。
ふと今年の夏も猛暑なのかなと思ってしまう。いつのまにか、太陽の季節は眩しいを通り超えた時代に変わってしまった。
江ノ島は人があふれていた。
高校前の交差点も、八幡宮もその参道もどこもかしこも人だらけ。
観光気分も味わって、参拝を済ませた。
もうくることはないだろう景色にお別れをした。