
なぜ人を殺してはいけないのか?
生徒にこれを教えなければならない。
先生という仕事は難しい。
難しいだろ。自分には無理だと思った。
道徳は主観であり事実ではない。
科学と自由や平等も一緒に教えなければならない先生にこの衝突の解消は難しい。
どうしても、石や木などあるものだけを事実だと思う。
意味や価値は主観だと思ってしまう。
これは長い思想の格闘の末に獲得した自由の代償だ。
「道徳は主観」は信教の自由の盾だったのだ。
ところが、その自由の盾がまた自由を奪うことになる。
今度は声の大きい権力者が決める道徳に逆らえなくなる。
ライオンと闘わされるのも、それを見て笑ってなければならないのも自由でないだろう。
死に行けと言われて死に行くのは道徳じゃないだろう。
積んだ石にはお墓という意味があるし、製材した木には柱という価値がある。
その意味や価値も物理的存在と同じように実在している。
「人を傷付けるのは良くないこと」も実在している。
これは人が思い込みで勝手に決めたルールではない。
1+1=2が決まってあるように、
「人を殺してはならない」は法律で決まる前から実在している。
もしそれは違うという人がいても、その人にはただ事実が見えてないだけだ。
地球平面説を唱えている人と同じだと思えば良い。
ニュートンが発見する前から林檎は木から落ちていたように、
「人を殺してはならない」もずっと実存していて発見された確かな事実なのだ。
物理的に証明されたものだけが事実じゃない!
これが新しく発見された真実だ。
まだちょっとぼんやりしている。
地動説がそうだったように、新しい発見になじむには時間がかかる。
とにかく、この発見で、
人を傷つけてはならないのはどうしてを悩まなくて済むようになる。
「見えていなかった本当のこと」も発見できるようになる。
もしかすると、人が生きる意味も発見されたのかもしれない。
そうゆうことだ。異論はない。
P.S.
先生は学習しとくとお得かも→新実在論。 いじめとかSNSとか面倒な教育も全てまとめてスッキリ説明できるようになる気がする。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
「決まっているから」
を論理的に説明可能になる。ステキ♡