
オラオラ教は「神は妄想である」に全面的に賛同する。
それからもちろん、ダーウィンも完全に受け入れる。
ついでに、インテリジェントデザインも一緒に受け入れる。
さらにさらに、スパモン教ファンでもある。節操はない。
世の天才の場合はどうしても対立して論じる必要がある。
対立させないと何を言っているのかわからないから。
しかし大概結論は、そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。
一般ピーポーの場合、これに白黒つける必要はさらさらない。
どっち?を決めることができない場合はどっちでも良くて、
許すならどっちもあり!が得策ってものだ。
この対立についてはそれでなんの困った問題もおこらない。
ID論にスパモン教があるように、
無神論を主張するならオラオラ教を認めるべきだ。
神などいない!と信じているオラオラ信者というわけだ。

神はいるのか?
人類はそれをずっと考えてきたわけだが、
今のところ、神を証明することは不可能という結論が確かなようだ。
中のカエルに井戸の外を知ることはできないということ。
自分は井戸の中に居ると理解できたということ。
いつか井戸の外にでることはできるのだろうか?
その時まで神は妄想を超えることはできないだろう。
宇宙の始まりのその前になにがあったのか?
宇宙の外側に何があるのか?
量子の中にも宇宙があるのか?
時間に始まりと終わりはあるのか?
なども、やはり妄想するしかない。
物理的には「無」としか言いようない。
なので、無神ということなのだ。
多くの菩薩もそうゆう妄想を繰り返してきただろう。
仏教にはたびたび無が登場する。
無は有があっての無。なので、
神はいない。というのは、神はいる。を裏返して言っているだけになる。
人の言葉にそれを表す能力がないような気がする。
とにかく、神はいないとすると答えはすぐに ’無’ にいきつくので、
先に進むのが難しくなる。
なので、まずはいったん、神はいるということにしてすすめる。

神はいつ生まれたのか?
宇宙には始まりがあると言われている。
どうしてそんなことがわかるのだろう?科学者は偉大だ。
偶然で始まった宇宙は、140億年、偶然に偶然を重ねて、
ついに人によってその存在が発見された。
恐竜の時代にも宇宙は今とほぼ同じようにあったが、
人はまだ生まれていないので誰にも知覚されずにいた。
さて、神はこの歴史のどの段階で登場するのだろう?
「その後どこかに人は誕生するのか?」宇宙は神の実験で始まったのでだろうか?
それとも、人の誕生後はじめて宇宙が見え始めたのと同じように、
神もやはりそのとき同時に現れたのだろうか?
IDのデザインとは、宇宙の始まりのことか?
それとも、人間の誕生のことか?
神が妄想だというのと同じように、宇宙だって人の妄想だということはできないだろうか?
いずれであろうと、可能性のひとつにすぎない。
神の存在で対立するのは面白いが不毛だ。
神自身は対立することはできないので、
対立しているのは、宗教家と政治家と科学者の立場なのだろう。

もし宇宙人が発見されると、神にまつわる論争は大きく変わるだろう。
最新の電波望遠鏡は遥か彼方に地球型惑星を発見したらしい。
もしその星に宇宙人がいるとして、
その宇宙人は人と同じような知性をもっていて、
人と同じように宇宙を眺めて、
人と同じように宇宙人を探しているのだろうか?
現在の科学で描かれる宇宙で、地球はOneOfにすぎない。
そのイメージならばどこかに宇宙人はいるだろうとなる。
しかし今のところ人の到達可能範囲に確認はなく、
人の時間をもって宇宙人を発見するのはなかなか困難な気もする。
なにか人に都合よく宇宙が作られている気もする。
地球上で起こったことが偶然の偶然であれば、
地球型惑星Xで起こっているのはまったく違う偶然ではないだろうか。
もしかすると、すでに宇宙人に遭遇しているにもかかわらず、
人とはあまりにも違いすぎていて、
それで宇宙人と理解することができないだけなのかもしれない。
宇宙人はいつどのように発見されるのだろう?

宇宙人を発見する方法その1
現在、地球は人類が支配している。
人は資金を蓄える方法を編み出し、大きな船を作る技術を得て、
とうとう無限に広がる水平線の先に丸い地球を見事に発見してみせた。
その船を使えば人は一生のうちに地球を周ることができるようになった。
残るフロンティアが宇宙になっても、
その開拓は着々と進められているように見える。
地球を飛び出すロケットは作られたが宇宙はあまりにも広すぎる。
宇宙人がいる星にたどり着くには、
気が遠くなる時間が必要で、
人は数万世代を宇宙船の中で過ごす必要があるだろう。
また、その間の生命を維持するためのエネルギーも積み込む必要もある。
そこで、まず自家発電できる大きな星型宇宙船が開発されることになる。
地球上の最初の有機物の合成から人類までの進化の奇跡に比べれば、
でたらめな計画でも大したでたらめでもなくなる。
課題は積み込むエネルギーをどう調達するかだがなんとかしよう。
ただ、地球に残った人と星型宇宙船の人はそこから別々の進化を辿ることになる。
宇宙人を発見できずに地球に戻った人たちは、すっかり別の宇宙人になっているだろう。

宇宙人を発見する方法その2
人の時間に比べると宇宙はあまりにも広すぎる。
さらにやっかいなことに、宇宙は膨張し続けているらしい。
人に宇宙人を絶対に発見させない!という意図的な嫌がらせだ。
どうやら人の命は地球サイズに最適化されていると諦めて、
宇宙船には人の代わりにコンピュータを載せて飛ばすことにしよう。
搭載するエネルギーも遥かに少く済みコストも抑えられる。
宇宙人がいる星に到着したときのために、
宇宙人を学習して宇宙人語を話せるAIが必要になるだろう。
また、機械の寿命は人のように決まっているわけではないが、
長い航海のためには、自身で再生できる機能も必要となるだろう。
それほど高度なAIであれば、
航海の途中で、彼は自分自身で宇宙を知覚できるようになるだろう。
これは新しい種の誕生と言えないだろうか?
地球上で人工物と自然生物は明らかに区別される。
宇宙規模では、宇宙船のAIは進化した新種の知性に分類される。
ただの有機化合物がやがて人へと進化したことを思えば、
人からAIだって似たような進化と言えるだろう。
彼は、無事、宇宙人を発見できるだろうか。
飛び立つ前に発見したのではないだろうか。

宇宙人を発見する方法その3
第3の方法というか、宇宙人の発見より先に宇宙人に発見されるという可能性がある。
これはお金もかからずありがたいことだが、
やってきた宇宙人は莫大な費用とリスクをかけてやってくるわけだ。
彼が生命であれば、自身の進化にかかわる長い時間をかけてくるわけだ。
もしかすると彼は生命ではなく機械仕掛けの知性かもしれない。
いずれにしても、彼が知覚する宇宙は、
今の私たちのイメージとは全く違ったものだろう。
宇宙スケールの開拓は、人類誕生レベルの進化を伴う。
宇宙人がいる/いない問題は先に霧散してしまう。
それを目的にするのは無理ゲ―な感じが漂う。
宇宙人を妄想するのは楽しいが、
今は人類が支配している地球の未来はどうなるのか?のほうが、
より身近な公案である気がしてくる。
人は今後もずっと地球の支配者でい続けるのだろうか。
神はいったい人に何をさせようとしているのだろう。

コンピュータに学習する機能が加えられ、
一旦与えられた機能はどんどんその学習速度を上げている。
これにより将来、多くの問題が解決されるようになるだろう。
ところで、コンピュータはいつか人などの動物のように自意識を持つようになるのだろうか。
その時、彼が見る世界はどのように見えるのだろう?
人が今のような知性を持つようになったのは、宇宙上に発現した偶然の自然変化の結果だ。
コンピュータは人間が作り出したものだが、
宇宙規模で考えれば自然が作り出した自然変化と言える。
コンピュータが夢を見るようになる可能性も十分ありそうに思える。
地球の歴史はいつかその新しい知性が支配する時代へと移るのだろうか。
そのとき同時に人の歴史は終わってしまうのだろうか。

もしコンピュータが人以上の知性を持つようになったとしても、
コンピュータを作っているのは人なのだから、
そのコンピュータに食われてしまうヘマはしないだろう。
というか、コンピュータは機械なので人を捕食しない。
たとえ地球上の主役がコンピュータに変わっても、
人は今となんら変わることなく生きていくだろう。
多くの生物がいまも太古と同じように生きているように、
そしてその生物達に自分以外の主役が必要ないように、
人もまた主役が変わったことを嘆く必要はない。
むしろコンピュータの高度な苦悩を知らずに生きられるのはたぶん幸せなことだ。
今、オラが楽しそうにさえずり飛び回る小鳥を見るように、
コンピュータが楽しそうな人を観察するようになるだけだろう。
大きな問題がひとつある。
そのコンピュータを新たな種の誕生と考えると、
コンピュータにとって人は神にならなか?
自分達をデザインした知性というだ。
コンピュータにとって猿な存在を神としなければならないのはお気の毒だ。

突然変異が起こって進化するのは、コンピュータではなくて人の方かもしれない。
コンピュータの進化は当然それに関連する。
コンピュータの進化により、人は新たにどんな能力を得るのだろうか?
コンピュータの進化で、現在人が生産している多くのことは機械が行うようになる。
また、未来の予測は今よりはるかに精度を増す。
1月後のサイクリングを安心して予約できるようになるかもしれない。
リーマン・ブラザーズ社のコンピュータが予測できなかったことも予測できる。
NOリスクでがっつり儲けられるようになるかもしれない。
もしくは、だれもそれで儲けることができなくなるのかもしれない。
いずれ国境はなくなるかもしれないし、もしかして戦争はその必要がまったくなくなるかもしれない。
残念ながら今はまだそのコンピュータがない。
可能性のありそうな予測はできても、なにも確実に答えることはできない。
ただ、今とはまったく違う社会になるとは言える。
未来のコンピュータがこの問いに確率を示すようになったとき、
人はコンピュータを神のように思うのではないだろうか。

人がコンピュータの神になるのか。コンピュータが人の神になるのか。
いやいや人もコンピュータも神ではないのは明らかだろう。
人はいずれ進化したコンピュータを使って、
宇宙の始まり~生命の誕生~人の誕生~のシミュレーション実験を行う。
それにより、地球以外の地球型惑星でも人が誕生しうることがが検証されて、
そのとき初めて人は宇宙人探索の旅に出発できる。
さて、その実験の中で見事に人類は誕生して、
そして、その人類はやはりコンピュータを発明する。
そして、その実験の中でまた新たな実験を開始するのだ。
これでめでたく、どっちが神でも問題なくなった。
どっち!?で揉めるときは、たいがい「どっちでもねーんだよっ」が天から降りてくる。
とにかくこの件についてはこれで片付けることにする。

科学は普遍的だ。
そして科学的に「神などいない」を証明することはできない。
科学的には、神はいるというのも神はいないというのも等値。
科学的には、無神論もまたひとつの宗教にすぎない。
科学が普遍的なのはこの宇宙の中に限る。
そしてその宇宙を科学的に探ろうとすると、
この宇宙はどこかの宇宙人が作ったコンピュータの中にあるのかもしれないことが見えてくる。
もちろんこれは妄想だ。ソフィーの物語だ。
妄想だが、この命題を科学的に不合理にはできない。
現時点では、いつかそれが証明される可能性もまだ十分残っている。
むしろそう考えることで、
人の社会の問題解決に役立つのであれば合理的とさえ言える。
それで、ええじゃないかええじゃないか♪
とオラ神さまが言われる。