
自動販売機横の給油機を撲殺せよ
深夜二時。駅前のロータリーは、不気味なほど静まり返っていた。
昼間の喧騒が嘘のように消え、ただ、自動販売機のLEDだけが冷たく路面を照らしている。その横には、あの「ゴミ箱」が鎮座していた。
「いい、佐藤。あいつらは私たちの『認識』をハックしてる。普通に見ればただのプラスチック容器だけど、脳のフィルターを外せば、あれは地球の精気を吸い上げる外付けの胃袋よ」
リサは、アルミホイルを裏地に仕込んだパーカーのフードを深く被り、佐藤に一本の鉄の棒を差し出した。ずっしりと重い、工事現場で見かけるようなバールだ。
対するリサは、手慣れた手つきで古い銀塩のカメラを構えている。
「私がシャッターを切る。フラッシュの光が『意味』を固定する一瞬、あいつの防御が解けるわ。そこを叩きなさい」
「……これ、明日ニュースにならないか? 『深夜の駅前でゴミ箱を損壊した不審な男女』って」
「ニュースにするのは『人間』でしょ? QPの信者になったキャスターが、自分たちの神様の給油機を『ゴミ箱』として報道するわけないじゃない。せいぜい『深夜に現代アートを創作していた若者』くらいに書き換えられるわよ」
リサは不敵に笑うと、ファインダーを覗き込んだ。
佐藤はバールを握りしめ、ゴミ箱へと歩み寄る。昼間見たときよりも、その「穴」が大きく、貪欲に開いているように見えた。
「今よ! 叩け!」
カシャッ。
激しいフラッシュが夜の闇を切り裂いた。
その瞬間、佐藤の視界がバグを起こした。
プラスチックの質感がベロリと剥がれ落ち、そこには節くれだった、半透明の「脚」のようなものが、地面に深く突き刺さっているのが見えた。自販機の裏側から這い出た太い管が、その肉塊に接続されている。
「うおおおおお!」
佐藤は無我夢中でバールを振り下ろした。
ゴンッ! という硬質な音を期待していたが、手応えは全く違った。
まるで巨大なイカの胴体を叩いたような、生々しく、弾力のある感触。
――キリリリリリリッ!
鼓膜を直接針で刺されるような高周波の悲鳴が上がった。
ゴミ箱……いや、「それ」が悶絶し、自販機をなぎ倒さんばかりに暴れだす。隙間から溢れ出したのは、青白く発光する、ヘドロのような粘液だった。
「ひるまないで! まだ心臓が動いてるわ!」
リサの声に押され、佐藤は二発目、三発目を叩き込む。
粘液が佐藤の顔に飛び散った。それは信じられないほど冷たく、そして「マンエネルギー」の残滓なのか、一瞬だけ脳内に「おめでとうございます! 徳が貯まりました!」というQPアプリの通知音が幻聴として響いた。
五発目を振り下ろしたとき、「それ」は完全に形を失い、ズルズルと路上の排水溝へと溶け落ちていった。
後に残ったのは、ボロボロにひしゃげた、ただのプラスチック製のゴミ箱の残骸だけだった。
「……やったのか?」
「ええ。一基、撃破ね」
佐藤が肩で息をしていると、背後からパトカーのサイレンが近づいてきた。
やってきた警官は、無惨に破壊されたゴミ箱と、バールを持つ佐藤、そしてカメラを持つリサを交互に見た。
「君たち、ここで何をしてるんだ」
万事休す。佐藤はバールを落としそうになったが、警官の顔を見て凍りついた。
警官の瞳は、山田と同じ、あの不自然なほど澄んだ「空っぽの青色」をしていた。胸元にはしっかりと、虹色の歯車バッジが輝いている。
警官は破壊されたゴミ箱の残骸を一瞥すると、意外な言葉を口にした。
「……ほう。見事な『自己表現』ですね。古い既成概念を打ち壊し、新しい調和へ向かう……まさにクォンタム・ピースの精神だ。でも、創作活動はもっと静かな場所でやりなさい。徳が逃げてしまいますよ」
警官は優しく微笑むと、倒れた自販機を直すこともせず、そのままパトカーで去っていった。
「……リサ。あの警官、何を言ったんだ?」
「言ったでしょ。あいつらにとって、この破壊は『芸術』か『事故』にしか見えないのよ。自分たちのシステムが壊されたなんて、彼らの『意味の場』には存在しないんだから」
リサは現像される前のカメラを大切にしまい込み、佐藤の肩を叩いた。
「さて。次は隣町の公園よ。あそこのジャングルジム、実は巨大な 『マン・アンテナ』 なの。夜明けまでに撤去するわよ」
佐藤は、手に残った生々しい感触と、顔に付着した冷たい粘液を拭った。
世界は狂っている。そして、その狂気を利用して戦うしかないのだ。
佐藤は再びバールを拾い上げると、アルミホイルの帽子を深く被り直した。
(第2話・完)