同級会で、松村が松田聖子のディナーショーの話しをした。 誰かが意外だというと、 松村は「えっ?ものすごい聖子ちゃんファンだったけど…」と言った。 そうだったのか。松村を近くに感じた。

ものすごい聖子ちゃんファンだった。 カセットテープをずっと流して聴いて浸ってた。 でも好きだったのは、1980年の聖子ちゃんで 2025年の聖子さんは…ちょっとどうかよくわからない。 ディナーショーがわかっていない。

YouTubeで古い歌を聴いている。 その世代の音楽というものがあり、 脳の深くに刻まれるのだろう。 加齢とともにだんだんと新しい曲を処理しきれなくなってくる。 YouTubeはそれを良く知っている。

とにかく曲はすごく沢山あって、 ほとんどがオラの知らない場所に実在している。 コメントを見ていると、 誰かにとって大事な曲が誰かの分だけ無数にあるのがわかる。 価値は無限だ。 曲の発掘が新たな趣味になる。 惣領智子「終わりのない歌」を見つけたときはうれしかった。

でも今がいちばん好きよ~すこし曇り空でも~

んだんだ。 当時、聴いたことはあったかもしれないが記憶にない。 50年経って蘇る。 曲自体は何も変わってないはずなのにまるで熟成されるかのよう。

これはどうゆう現象なのだろう? ジェミニに聞いてみる。 ジェミニは、瞬時に詳細な曲の魅力まで分析してくれる。 おい!お前、聴いたのかい!?

良い曲は、聴き手が大人になるのを待ってくれている。らしい。
たしかに。子供すぎてわかってなかったことがたくさんあっただろう。 たしかにあったのに、そのときには見えていなくて聴こえていなかった。 変わったのは自分だ。ようやくそれがわかる歳になったということか。 大人になった自分をあの時代に戻してくれる。 過去が書き換わるわけでない。 でも、今、こうして曲を聴きながら創っている過去の景色も、 すっかり忘れて消えてしまった過去の景色同様に懐かしい。 人はどちらの景色を現実だと言うのだろう?

2035年になったら、2025年の聖子さんを聴いて2025年に戻ってくることにしよう。 そのとき何を懐かしむのだろう?