
挑戦しない国に未来はありますか?
「挑戦しない国」の「挑戦」、
「この道しかない」の「この道」
を「空白のシニフィアン」という。
挑戦とは何のことか?敢えて明確にしない。
聞いた人に勝手に想像させる。
オリンピック選手が金メダルに挑戦する。
尊い>応援せねば!
たとえそれが何を指すかわからなくても何かを聞けない。
もし聞いて、
「はっ、何いってんの!知らないの?」
などとバカにされるのは怖い。
そんなことも知らない自分が怖い。
そしてここで、でないと「未来はないよ」と脅される。
古典的な恐怖訴求。
詐欺師やカルト宗教がよく使う手法。
総理大臣がそうゆう言葉を使うのはあまり良くない感じがする。
子どもたちはマネをする。倫理的にはよくない。
でも、これは仕方ない。
政党政治の宿命だ。どの国とかどの党とか関係ない。
なにはなくとも選挙に勝たなければならない。
負けてしまえばなにもできない。
どんな手をつかってでもまずは勝ってかかる必要があるだろう。
大勝だ。お見事!としか言えない。
かつて同じようにして、民衆の絶大な支持を集めた例がある。
カールシュミット技法。
勝つか負けるか。の場で、論理や対話に意味はない。
敵か味方か。白か黒かのモノクロ世界にすべての意味がが飲み込まれていく。
冷や水注すな!と叱られる。一度足を踏み込むと抜け出せなくなる。非常に強力な技。
ナチスは今は未だ、ただスケープゴートにされているのに過ぎない。
私たちはそれに抗う明確な手段をまだ持っていない。
この場で庶民の取りえる手段は「スルー」することだけだ。
それ以外の最善はない。
さてこの物語の結末はどうなるのだろう?
やはり行き着くとこまで行き着かないと気づくことはないのだろうか。
それとも、その前に古い政治の仕組みが構築され直されるのか。
なにもまだわからない。
挑戦しない!という挑戦。というのを思いついた。どうだろう?
これなら、オラオラ教信者にも未来はあるのかもしれない。
はたして結末はどうなっているのか?それはまだわからない。